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畑の中の一本道を2人乗りで走り抜ける自転車 海辺の小学校の校庭にポツリと置かれた机が1つ 図書室の机の上、風でページがめくられる本 学校をサボって乗り込む台北行きの列車 「加油!(がんばれ)」とマジックで書かれた牛乳瓶・・・ どのシーンを切り抜いても懐かしさを感じてしまうのはなぜだろう。 小学生時代。 落ち着きがなくクラスの鼻つまみ者のショウヘン(ジョセフ・チャン:張孝全)。 担任の先生から「お友達ができればきっと彼も落ち着くから」とお願いされて 彼の面倒を見ることになる優等生のジェンシン(ブライアン・チャン:張睿家)。 それが縁で親友となる2人の前に高校生のある日、香港からの転校生 ホイジャ(ケイト・ヤン:楊淇)が現れる。 決して叶うことのない相手への思いを封印し自分から距離をおこうとするジェンシン。 親友も恋人もどちらも失いたくないと思うショウヘン。 そんな2人の気持ちを全て知っているホイジャ。 男2人と女1人。 3人それぞれの想いが交差し少しづつ変わっていくお互いの関係・・・。 瑞々しい感性で描かれた心に響く秀作。 誰かを好きになる気持ち。 相手が異性であれ同性であれ、その気持ちの純粋さに違いはない。 そしてその「好き」という気持ちが果たして愛情なのか友情なのか。 きっと本人たちにも曖昧で戸惑いながら一歩づつ手さぐりで進んでいくのだ。 主人公の3人の透明感ある演技が光る。 この作品を観た方の多くが感じると思うのだが、 この作品は決して「同性愛映画」というカテゴリーにくくられるものではない。 それがネックとなって観るのを敬遠するのは惜しいことだと思う。 心の垣根を取り払って是非観てもらいたい作品だ。 驚いたことに監督のレスト・チェン(陳正道)は1981年生まれだという。 本人も語っているがその若い「今」だからこそ撮ることができた作品なのだろう。 それにしても恐るべし26歳・・・! 『花蓮の夏』は青春と孤独についての映画です。 私は25歳までにこのテーマで作品が作りたかった。 “若さ”の匂いと、愛に対する“純粋さ”と“迷い”が年を重ねる自分の心の中から 消えてしまわないうちに・・・ 「花蓮の夏」オフィシャルサイトより レスト・チェン監督のメッセージ 花蓮は台湾東部に位置する台湾最大の県。 この物語でジェンシンとショウヘンが高校を卒業するまで暮らすのがこの花蓮だ。 のんびりとしたのどかな風景のこの土地が作品の美しさを更に引き立てる。 花蓮の夏 オフィシャルサイト #
by sabunorihk
| 2007-12-01 19:26
| 台湾映画
それでも使い込まれて美しさを放つ碁盤 パチンと置かれ、わずかに揺れて留まる碁石 これらを見て、音を聞いただけでなぜか心が落ち着くから不思議だ。 物語の冒頭。 呉清源本人が彼を演じたチャン・チェン(張震)らと楽しそうに語らうシーン。 すでに90歳を過ぎているはずの呉清源のしっかりしたそして優しげな口調、 どこか神様みたいなそのたたずまいに圧倒される。 囲碁の神様と言われた呉清源は囲碁の世界から身を引いた今でも やはり神様みたいな存在だ。 1914年中国福建省に生まれ、7歳で父親のもと囲碁を始めた呉清源は あっという間にその頭角を現し、たちまち天才少年と呼ばれるようになる。 1928年、日本人棋士、瀬越憲作(柄本明)の誘いで母親(シルビア・チェン:張文嘉)らと ともに来日したのが14歳。 その後彼が引退するまでの半生を描く。 ビックリした。 囲碁の対局の時間の長さに。 何日もかけて勝負するとは知らなかったのだ。(それほど囲碁には疎い私) ありとあらゆる可能性を考えぬいてようやく一手が打たれるとは・・・。 相手が倒れてもまるで気づかず自分の打つ手に没頭する呉清源の姿に圧倒された。 囲碁の対局シーンが物語のほとんどを占めるのではないか? そう思っていたのだが、囲碁のシーンは思いのほか少なく、日本人女性との結婚、 太平洋戦争開戦、日本人への帰化(物語を見る限りでは最後の最後で帰化をやめた、 と思ったのだが実際には帰化されたようだ)、結核のための療養生活、宗教への傾倒と 人間呉清源としての半生を淡々と描いている。 やはりチャン・チェンがいい。 「囲碁」と「真理」自分の人生にはこの2つしかない。 そう言い切った呉清源。 対局の最中に碁盤を見てからふと宙を見て思いにふけるその知的な横顔は 呉清源そのものに見えた。 そして積極的には語られないものの、呉の恩師瀬越と親友木谷の存在もまた大きい。 この2人の生涯についても興味深く、特に瀬越の最期には胸を衝かれた。 初日に鑑賞したのだが、指定された劇場に足を踏み入れようとしてふと 自分の半券を見直した。 劇場にいる人達がほとんど中高年の男性ばかりだったからだ。 私のように中国映画ファンではなく囲碁ファンの方々だろう。 いつもと少しだけ違う空気の劇場で観る映画もいいものだ。 呉清源 極みの棋譜 オフィシャルサイト #
by sabunorihk
| 2007-11-19 19:28
| 中国映画
なんとも感想を書きにくい作品だ。 私自身鑑賞からすでに1週間以上も書けずに放置したまま。 そろそろ書いておかないと加齢による物忘れの激しさゆえ、 日に日に内容を忘れつつある。書くとするか・・・。(笑) なぜ感想が書きにくいか。 楽しい作品ではないからだ。 つまらない作品という意味ではない。 あまりにも絶望的で後味も悪く悲しい結末だからだ。 もしかしたらラストシーンは希望を描いていたのかもしれない。 でも私にはそうは取りづらい結末だったなぁ。 それでも私はこの手の香港映画は嫌いではないのだ。 ただ、香港映画に関して一見さんの方にとっては少しばかり辛いかもしれない。 特定の国への差別表現ではないのか 人権を無視したやり放題の警察なんてありえない そんな意見が良識派の方々から必ず出るんだろうなぁ・・・ というのは容易に想像がつくからだ。 そんな良識派の方々の意見が怖くて香港映画が作れるかってなもんだろう。 「DOG BITE BOG(狗咬狗)」とはまさにそのタイトル通りの内容。 広東語タイトルでの発音は平たく言えば「ガウ・ガウ・ガウ」ですから。(笑) ワイ刑事を演じるサム・リー(李燦森改め李璨琛・・・ってそうだったのか)と パン演じるエディソン・チャン(陳冠希)の対決シーンではBGMにどこからともなく ガルルル・・・という犬の唸り声まで聞こえてくる。 カンボジアの孤児であるパン(エディソン・チャン)は幼い頃からほんの少しの 食べ物のために殺し合いの試合をするという闘犬のような生活を送ってきた。 そんな彼が依頼通り香港に渡り、何の感情もなく次々と殺人事件を起こしていく・・・。 この作品で私の中のエディソン・チャンの株がかなり上がった。 アイドル系のイメージが強い彼が(あ、あくまでも私の中でのイメージですから) このストイックな殺人者のポイを演じるとは予想外だった。 なにしろ鑑賞当日、劇場前のポスターをまじまじと見て初めてこの役がエディソンだと 気づいた私・・・。(笑) そのくらいイメージが、いや顔つきが違ったのだ。 全編通してほとんど笑わない、しゃべらない。 とにかく「生き残ること」だけに執着するストイックな闘犬。 そんな彼がただ1人だけ心を許す人物ができる。 中国から不法侵入した少し知恵遅れの女性。(この女性が泣かせるほどハマリ役だった。 いや、演技が・・・というよりはその存在が) 私なんか、この女がいなければパンももっと身軽なのに・・・と鬼のようなことを 考えてしまったのだが、やはりこの世界でたった1人の心を許しあえる存在がいなければ あまりにもパンの人生は悲しすぎるということなのかもしれない。 今回はエディソンがかなりよかっただけに、ついついサム・リー演じるワイには 感情移入がしづらかったような・・・。 こちらの方が本来正義なのにね。 最初の10分くらいしか彼の出番はありません。彼目的だとガッカリするかも・・・。 ドッグ・バイト・ドッグ オフィシャルサイト #
by sabunorihk
| 2007-11-17 19:40
| 香港映画 た行
俳優ダニエル・ウー(呉彦祖)が俳優仲間のテレンス・イン(尹子維)、 アンドリュー・リン(連凱)、コンロイ・チャン(陳子聰)とともに「alive」なるバンドを結成。 実はこの作品を撮る目的で結成されたバンドだったということがこの作品のお披露目で 初めて明かされたという。 その「alive」の活動をおさめたドキュメンタリーとフィクションの交差するストーリー。 ある意味今回の大阪アジアン映画祭で一番ホットだった作品なのかもしれない。 ・・・ただ私は率直に言ってそれほど楽しむことができなかった。 その一番の理由は私自身が現在の香港ショウビズ界にほとんど興味がないからだ。 仮に(まず公開される可能性は少ないと思うが)この作品が一般公開されたとして 普通の映画ファン(香港映画に特に思い入れのない類の)がこの作品を観たくなる 可能性はあるだろうか。 私はかなり可能性は低いと思う。 観たとしても私のように「おいてきぼり」の感覚を喰らいそうだ。 これは「alive」の面々、もしくは間でコメントを添える香港俳優、歌手たちを 知っていて初めて楽しめる作品なのだ。 ジャッキー・チュン(張學友)やニコラス・チェー(謝霆鋒)のコメントも 辛辣と言えるほどのパンチもなくとおりいっぺんなもので、ファンたちはただ、彼らが 「セリフではなく自分の言葉を語っている」という事実を新鮮に感じるのではないか。 笑いに包まれる会場でこんな風に冷めた気持ちでいたのは私だけだったのだろうか。 映画そのもののアイディアは悪くない。 「売れればいいという利益第一主義の音楽業界への批判」というのもわからなくはない。 ただ私にはそのあたりのメッセージがそれほど響いてこなかった。 キテレツなステージ衣装をとっかえひっかえ着させられて怒り心頭なテレンスが スタイリストに言い放つ「俺たちの歌を聴いたことがあるのか!?」というセリフも、 我慢に我慢を重ねたダニエルがついにキレて姿を消してしまうという展開も あまりにも定番すぎた。 どこか彼らのファンのためのプロモーション・ビデオと思えてしまったのだ。 今回の大阪アジアン映画祭(といってもほぼ香港映画に関してのみだが)を 通して感じたこと。 開催日程が平日がほとんどだったので仕方ないのだが、客席に男性の数が少なすぎた。 少し女性向けの作品が多かったのではないだろうか。 それとも香港映画の観客全般を通して男性が減っているのか。 男性香港映画ファン、カムバーック!と叫びたい気持ちだ。 <大阪アジアン映画祭にて鑑賞> #
by sabunorihk
| 2007-11-13 19:29
| 香港映画 や行
息子のボーイ(ン・キントー:吳景濤)をスクールバスまで見送る母リン (チャーリー・ヤン:楊采妮)。 物語の冒頭からすでに嫌な予感がする。 1度は失敗するものの、結局リンはギャンブルで借金を重ね続ける夫シン (アーロン・クォック:郭富城)に愛想をつかし別の男のもとへと去って行く。 残された父と子。 2人は借金取りから逃れるためにとある町の安宿へと移り住む。 どんなに金に困っても再び職につこうとしないシン。 やがて彼はボーイに盗みまでをも強要するようになってしまう・・・。 舞台は香港・・・と思いきやマレーシアだった。 マヌケにも「リンギット」という単語が出て初めてそれに気づいた。 香港より更にうだるような暑さがスクリーンから漂う。 女性の服装が香港より更に軽やかで、誰もが身体にはりつくような薄い素材を 身にまとっている。 言うまでもなくシンはろくでもない父親だ。 常にボーイを叩き、学校に行かせようともしない。 ボーイを映画館に押し込んで自分は女とシケ込む。 ついには嫌がる息子に盗みを強要し、更に盗んできたものに価値がないとまた叩く。 今や幸せな家庭を営む母リンは自分の所においでとボーイを誘うのだが ボーイはかたくなに父との生活を続ける。 このボーイの選択を私は不思議な感覚で見守り続けた。 父のもとを離れなかったのは自分達を捨てた母に対する怒り、失望から・・・とは 私には思えなかった。 母に捨てられた父を自分までもが見放すわけにはいかないと思ったのか。 それもあるかもしれないが、結局のところこんなろくでもない父をボーイは好きなのだ。 だから一緒に暮らし続けたのだ。 そしてシンもまた決してボーイとの関係を絶とうとはしない。 それは彼が利用できるからという計算からではなく(結果的に盗みをさせるのだが) 自分の子供だからというただそれだけのシンプルな理由なのだろう。 2人の姿を見ながら親子の不思議を思わずにいられない。 そこには他人にはわからない絆が確かに存在するのだ。 しかしついにボーイが父親を拒む時が訪れる。 盗みをさせられても、家の外で必ず自分を待っていてくれた父親。 何かあったら絶対に助けてくれると信じていた信頼が崩れた時、 ボーイは父親に失望し、彼を拒絶したのだ。 「どうして嫌がるボクに盗みをさせたの!?」と泣き叫び父に飛びかかり 彼の耳を食いちぎるボーイ。 あまりにも壮絶で悲しい2人の決別だった。 1988年に銀幕から一時姿を消しマレーシアで教鞭をとっていたという この作品の監督パトリック・タム(譚家明)。 17年ぶりの監督復帰作だという。 今まで一体どんな作品を作っていたのだろう?と気になって調べてみたら 私の大のお気に入り「最後勝利」はパトリック・タム監督作だった。 物語の冒頭、スクリーンに映し出される監督パトリック・タムの言葉が心に残る。 「観終わって感動の嵐になるような作品ではなく、後から心に染み入るような そんな作品になることを望みます」 (うろおぼえ。こんな感じだったと思うのだが・・・) 辛いので2度と観ることはない作品だと思う。 だけど不思議と嫌いになれないのはなぜだろう。 あれだけ心がザラつく物語にもかかわらず私はこの父と子がいとおしい。 まさに監督の意図するような、時間がたてばたつほど静かだが確かな感情が こみ上げてくる作品だと思う。 1つだけ気になったのは・・・リンが2人のもとを去って結婚する相手役を あえてアーロン・クォックが2役演じていたこと。 あれには何か監督の意図があったのだろうか。 私は必要性を感じることができなかったのだが。 <大阪アジアン映画祭にて鑑賞> #
by sabunorihk
| 2007-11-09 19:30
| 香港映画 た行
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